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2014年10月

2014年10月18日 (土)

卒業

函館の父が9月27日未明に亡くなりました。

満で86歳、数えで88歳でした。

50歳くらいの時に転んで脊髄の神経をすこし損傷し、徐々に手足がしびれたり感覚がなくなっていき、70歳台からは歩くのもなかなかままならず、5年前からは自宅でもすべて車いす生活でした。

内臓だけは丈夫でしたが、老化にともなう衰えは仕方なく、私のすぐ下の弟は10年ほど前から仕事を辞めてその父の介護にあたって今日まで苦労してきました。

施設に入ることを嫌がっていたため、心の優しい弟は、独身だったので(姉の私は遠い大阪にいたし、もう一人の弟は青森なのでやはり離れていたため)一人で献身的に介護してきていたのでした。

私が病気になる前は一年に一度介護に行きましたが、たった7日間ほどでも夜中も1時間半に一度トイレのために起こされて連れて行く生活(連れて行ってもすぐには出ないので15分くらいも待たされて、粗相があればすぐに全部着替えさせる)は、くたくたになりましたので、それが毎日の弟はどれだけ大変だったかと、頭が下がりっぱなしでした。

その父が昨年の秋に私と同じように血液を造らなくなる病気になり、さらにこの6月からは菌に対する抵抗力がないため、肺炎で何度も入退院を繰り返し、とうとう亡くなったのでした。

私はちょうど26日に文学講座の仕事と、主催している文学賞を支えてくださっている協賛会社の役員とお目にかかるお約束を入れていましたので、それが済み次第、一度父の見舞いに行くと数日前から航空券を取っていたのですが、間に合わず、その夜中に逝きました。

介護していた弟も「オレも病院から電話で呼ばれて、飛んで行って10分後くらいにあっという間に亡くなった」ということで、もうすこしは大丈夫かと思っていたけれど急変したということのようでした。

そんなことで、予定通りの飛行機に乗って、父とのお別れに行きました。

集まった姉弟で話をしてみたら、前日の26日は私には仕事が、青森の弟夫婦は結婚記念日で記念日らしいことをして、寝た後での死で、父は私たちのそういうことが済むまで頑張って、くれたんだと思いました。

ともかく、私たち子供たちと、イトコ(父は一人っ子だったので、亡くなった母方の方のイトコ。母の兄弟姉妹はほとんど亡くなり、生きているオバさんも動けないのでイトコだけ)で、こじんまりと葬儀をしました。

覚悟は昨年からありました。

父は思い残すことなく、最愛の母のそばに行ったと思います。

献身的に介護を続けてきた弟がロスになってしまうのではないかと、今はとても心配ですが、私は父への感謝も思い出もすべてを含め、父との別れを「卒業」と心に区切りをつけました。

来月、再び、49日に骨納めで函館に帰ります。

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