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2013年9月

2013年9月30日 (月)

夏の思ひ出 (2)函館・港祭りと法事

函館には8月3日に到着。

ちょうど港まつりの開催中で、この日は宿泊したホテルグランティア五稜郭の前で終了するパレードが夕方~夜にかけてありました。

今回は母の17回忌で行ったのですが、13回忌の時にもまったく同じ時に泊まっています。その時のブログ記事⇒http://haretaraiine156.blog40.fc2.com/blog-entry-41.html

このパレードは前のブログ記事にも書いたように、昔私が子供の頃は「1万人パレード」と言ったのです、お昼に開催で、私も住んでいる町内会の子供の鼓笛隊に属して歩きました。その時は函館山の麓にある高田屋嘉兵衛像前から函館駅前まで歩いた記憶があります。

今は夕方から夜にかけてのパレードで、大きな車に電飾を施してた山車と踊り手たちが踊りながら歌いながら練り歩いて、なかなかの迫力です。

     Photo_5   Photo_6

とくに私が大阪へ来た後にできた「イカ踊り」というのが、最近はポピュラーな踊りになっていて、飛び跳ねて楽しそうに踊ります。

函館市内の各企業、病院から学校、町会、皆こぞってグループで出てきますから、踊る人々も多いし、見物客も多い、夜なので沿道にはお酒をだす屋台も出ていて、ビールと焼き鳥片手になんてぐあいで、どこもかしこも賑やかでした。

ホテルは、13回忌の時に初めて泊まって以来、気にいって、函館へパック旅行を使って(その方が正規の航空運賃より安くて済む)行くときにはたいていここをセットにして1泊します。夜中の2時まで利用できる温泉の大浴場があって、朝食もとても美味しいし、室内もきれいなんで。

今回は色々実家には事情があって、なかなか病人の私の身体が実家では休まらないから、というので、このホテルに1週間近く滞在し、ここから実家へ昼から夕方まで何度か行きました。

clover

8月4日が肝心の母の17回忌。

父が動けないので、17回忌は家族のみで、家でやりました。

青森に住む下の弟の奥さんもぎっくり腰のきついのになってしまったというので、ほんとうに、父と、私と夫、私の弟2人の、とてもシンプルな法事になりました。

母の兄妹も、その連れ合いも、亡くなったり生きていてもみんな動けなかったりで。

代理でイトコが出てくださっても、こちらからはそういう時に動けない父を置いて弟が出て行けない事情もあって、だんだんどこの家も似たような事情になってきて、シンプルにしたとしても何の問題もなく。

しかし、来られた若いお坊さんが(かなり遅れて来られました)、お焼香の用具を持って来なかったのには、びっくりして言葉がなかったです。

そういうものが普通の家庭にお線香や蝋燭と同じようにあるものとは思っていませんでしたから。

夫の実家は曹洞宗ですが、法要で家にお坊さんが見える時には用具も持ってきてくださっていて、それはだから普通の家庭であらかじめ用意しておくものだとは知りませんでした。

特に実家は、門徒もの知らず、の、その門徒です。

居直るわけではないですが、今までお坊さんが持って来られるものとばかり思っていました。

お坊さんは必死に我が家の仏壇の引き出しを開けて探していましたが、ありません。「無いですよ」と言っても探しまくっていました。

それでお坊さんはそのままお経をあげて、だから焼香も無しで、お説教を始めて、終わって、着替えようとするので、

「ちょっと待って、せめてお線香をあげさせてください。お焼香しなかったので」

と言って、お線香をあげました。

続いてみんなも。

お説教が、死と隣で生きている私にとってはものすごくしょうも無い話だったのは、まだしも、法事だというのに、お焼香の用具がないからと、お線香の一つも家族にあげさせないで終わらせるというのは、私にはありえなかったのですが、西本願寺ではそのようなものなのでしょうか。

実家で包んだお布施のなかには、そうした費用やお膳代も当然入っているはずです。

本来は各家にある物なのかもしれませんが、現代では、古い時代とは違い、そうした用具がない家庭の方が多いでしょうし、来られる前に電話で、用具の有無の確認位したっておかしくないでしょう。

わざわざ法要に大阪や青森から高い飛行機やら列車使ってやってきた家族です。

なんだか、あのお坊さん無しで、お経のテープ流して、母に手を合わせたほうが、まだ気分的に納得したような、割り切れない思いでした。そういうことやら過去にもいろいろあって寄付寄付と言われても寄付がすなおにできましょうか。

ま、ともかく、無事法事が終り、あとは父が動けないので、そのまま家で、取ったお寿司とオードブルを食べて、懐かしい話をしました。

父を看ている弟が、そういえば45年前にここに引っ越す時に段ボールに梱包したまま、10年程前に建て替えした時もそのままで、一度も開けていない箱があって、開けたら面白いものが出てきたと、テーブルに並べました。

見たら、古いお猪口ととっくり。

お猪口はものすごく小さくて七福神の絵がそれぞれ中に書かれている九谷焼もどきのもの。とっくりは亡くなった祖父が良く使っていたとっくりで、ひいきにしていた酒屋の名前と住所や電話番号が横に書かれているものでした。

その酒屋の話で、すっかり話が盛り上がりました。

昔は酒屋や米屋やお寿司屋やいろんなところが年末に得意先に記念品を配ったもので、そういうものがどうも沢山その箱に入っていたようなのです。

はっきり言ってガラクタで、だから一度も開けなくてもすんだのでしょうが、今となったらタイムカプセルのように、私たちの45年以上前の生活を浮かびあがらせてくれたのです。

つづきで、ご近所の話になり、子供だったのでわからないまま曖昧にしていた記憶が、父によって改めてはっきりさせてもらいました。

母の17回忌、家族が久しぶりに集まって、お酒飲みながら昔の話をする、最後はいいものでした。

夏の思ひ出 (1)札幌

2ヶ月もブログ放置していたのには訳がありまして、毎年ですがこの時期私が代表で主催している文学賞の下読みの選考(多くの応募作品を読んで、最終候補作までを5作に絞っていく作業。けっこう大変なんです)があって、まずは作品をたくさん読んで忙しくしていたのです。

あと、講座もいくつかやりましたし、連載している雑誌のエッセイを書いたり、バタバタしていました。

講座はする前にレジュメを作ったり、喋るために再度調べなおしたり、結構本番前の準備があるので、書く作業ははっきりいって仕事以外はする気があまり起きないのです。

メールでさえもなかなか書けなかったり…。

まあ、言い訳です(^-^;

とくに今年は7月31日から北海道へ、実家で母の17回忌があったので、せっかく高い飛行機代を使うのだからと、わりと長めに行って、それで留守もしてたし。

昨年死ぬかと思うような病気にかかり、九死に一生を得て病院から戻ってきた私、いつまでも明日があると思ってはならないと骨身にしみ、どうせ北海道へ行くなら青春時代を過ごした札幌にも立ち寄り、会いたい友達にできるだけあっておこうと貪欲に思ってね。ふふふ。

先週、木曜日に講座が終り、文学賞の方も予選通過作品を公式ブログで発表し、すこし余裕ができましたので、そういうことで、2か月も前のことになりましたが、私の北海道での思い出を分けて報告いたします。

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夏の思い出、まずは札幌編。

7月31日、関西空港から札幌へ全日空で旅立ちました。

その日の夜、ホテル(全日空ホテル)へ着いてほやほや、Cさんと会ってお食事しました。

夫は夫で大学時代の友人たちとお食事会。別行動。今回札幌はず~~っとずっと別行動。うひひ。

Photo

ということで、行ったのは居酒屋。

私も彼女も呑兵衛だし、ね。

そこでパチリと一枚写したお宝写真です。

ネットではシモネッタ公国の王女で、私も負けず劣らずの別国の女王なのですが、リアルの彼女はすごくチャーミング。品もある。

彼女は偶然私と同じ函館の小学校へ通っていたことがあって(時期は離れるけれど)、それを知って以来私を「先輩」と呼んでくれます。

今回はその小学校まで、思い出をたどって行ってきましたが、それは次回に。

この居酒屋はCさんが連れていってくださった店、JR札幌駅のビル内にあるお店で、「北○」http://kitamaru.jp/

雰囲気も良くて、お料理も美味しかった!

なかでも感激したのが「赤ホヤ」

ホヤの大好きな私ですが、これ初めて知ったのです。赤いホヤは食べたことも聞いたこともなかったもんで。なんでも根室とか稚内で採れるめずらしいホヤなんだそうで、Cさんに教えてもらいましたが、絶品。

Photo_2

お刺身のようにワサビとお醤油で食べました。2切れほど食べてから慌てて写真撮りました(笑)。だからほんとはもう少し量があったのよ。

ほほほ。

この夜は、この居酒屋でいろんな北海道らしい美味しいものを食べて、それからススキノの方へ出て、すこし変わったお店へ連れて行ってもらいました。

ソフトクリームにリキュールをあれこれかけて食べるお店。

「ミルク村」http://tabelog.com/hokkaido/A0101/A010103/1000194/

面白いお店でした。

ということで、Cさんと盛り上がって美味しいもの食べて飲んで楽しかったわ。

プレゼントに手作りのすごく美味しいラズベリージャムと上質のお布巾もいただきました。

ありがとう。

Photo_4

(ジャムあっという間に食べちゃった。うふふ)

すごくいい思い出ができました。

また会いましょう!

heart04

ホテルが何故か3連泊できなくて、翌日は札幌プリンスホテルへ午後から移動(そこで2泊)、かつて仕事をしていた時に知り合って以来の親友M・千鶴子さんと10年ぶりくらいで会いました。

お茶飲んで話しまくり、ご飯食べて話しまくり、結局5時間くらいは一緒だったかも。

最後の方では千鶴子さんの旦那さんも近くまで来ていると言うので、ちょっと会って挨拶。それで解散。

(というか、彼女へ彼から何度かケータイへ電話があって、そのたびにどんどん私たちの近くへ来る。最後は同じ階の喫茶にいるというんで、しょがないな~って言って、結局彼がコーヒーを飲んでる所まで2人で行った。ヨメさんが10年ぶりに友達と会って話しているってのに参加したいんか、気になるのか??? たぶん本人にはそんな意識もなく、ヨメさん以外に他に近寄るところがないのかwww。その点、我が家の夫はこの頃ずいぶん自立しているぞ)。

この夫婦、結婚披露宴の司会は私がして、それより遡ること数年前からよく知っていた熱々の2人。

まあいつまでも熱々でいてください(ヨメさんにうっとおしがられない程度に)

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札幌3日目のお昼は、これまた仕事をし始めたときに知り合った友達のM・悠美子さんで、お昼をご馳走になりました。

フレンチのお店で、佐藤水産が経営している店らしく、北海道の海産物と野菜を使ったあっさりヘルシーな、味も雰囲気も良いお店でした。

「ジュノー」http://tabelog.com/hokkaido/A0101/A010102/1021379/

すこしクーラーが効いていて、病人の私には肌寒かったので、私、ユニクロの小さく折りたためる軽いパーカーを出したら、悠美子さん、さっと何やら丸井今井の紙袋を出してくださった。

「お見舞いの代わり」って、袋を開けたらちょうどそんな時に羽織れる薄手の幅広のスカーフが入っていました。

綺麗な色で、さっそくその場で使用して、それ以降、ずっとハンドバッグの中にいれて重宝しています。

ありがとうnote

すっかりお世話になっちゃいました。

heart04

で、その日の夜は、悠美子さんとは中学高校とクラスメイトで、でも私とはまったく別に知り合って親友になったT・美和子さんとW・えみさんとで居酒屋に行きました。

私が、太りたくない、居酒屋がいい、と言ったもので、最初は中華かイタリアンと言ってくれていたのを急遽ススキノの居酒屋にするということになり、連れて行ってもらったのでしたが、はははは、行ってビックリ、Cさんと初日に行って感激した居酒屋「北○」の本店だったのでした。

またもや赤ホヤ食べました。うふふふ。大満足。

この間、写真を撮るなぞ思いもつかず、毎日昼から遊び歩いて、夜の10時くらいまでしゃべりまくり、楽しゅうございました。

札幌では、美味しいお蕎麦が食べたいと我儘を言って(大阪のお蕎麦は汁の味が違う。お蕎麦はお醤油が濃いのが美味しいと思うのに、温かいお蕎麦なぞは大阪ではうどんと同じ薄口しょうゆのお出汁に入ってくるcryingので…)、美和子さんにプリンスホテルのすぐ近くにあるお蕎麦のお店へ連れて行ってもらい、美味しいお蕎麦を旦那と3人でお昼に食べて札幌の美味しい最後を飾ったのでした。

「志の家」http://loco.yahoo.co.jp/place/909e6c9a9bd08a5df70074782b95ecc4fb9a022f/

冷たいざるそばと温かい汁蕎麦と2つ食べちゃいました。

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その後、札幌の丘珠空港からHACの飛行機に乗って函館へ向かったのです。

HACの飛行機、ものすごくレトロ、というか、昔の映画のようにタラップを踏んで昇り下り、しかも飛行機内は天井が低くバスよりも狭くて、驚きました。

席は3列のみで一番後ろの席は12、つまり満席でも36人。CAさんもお一人。

珍しい光景だったので、写真撮っちゃいました。

Hac

ということで、8月3日、飛行機は函館へ降りたのでした。

(写っている方々は私とは無関係の乗客です)

2013年9月23日 (月)

27回目と28回目の通院日と父の病気

かなりブログ放置状態でした。すみませんcoldsweats01

その間、7月18日は退院後27回目、9月12日は28回目の通院日で、血液検査がありましたので、結果をご報告いたします。

27回目の数字の

clover

白血球 2040/ul  (前回2140/ul  前々回2000/ul    基準値・女性 3500~9400

好中球 860/ul   (前回940/ul   前々回800/ul       500以下注意 )

赤血球 261万/ul  (前回271万/ul  前々回260万/ul      基準値 380万~500万/ul

ヘモグロビン 9,3g/dl 前回9,7g/dl  前々回9,3g/dl      基準値 11.5~16g/dl

血小板 9,9万/ul   (前回9,2万/ul  (前々回8,5万/ul      基準値 15万~35万/ul

clover

ほとんど変化はありません。

血小板だけはおかげさまでかなりUPしてきました。

健康な人の数値まではいってませんが血小板はまあここまでくると安心ですね。

typhoon

ところで、実家の父が2週間以上前に入院しました。

最初は熱が出て、血尿も出ていたようで、近所の泌尿器科へ行ったそうですが、そこでした血液検査の結果、血液の数値がかなり低く、血尿という以上にどこかから出血している可能性があるのでもっと大きな病院へ行くようにと、紹介状を書いてもらって市立函館病院へ行ったのです。

ここは戊辰戦争(箱館戦争)時に敵も味方も区別なく手当をしたという箱館医学所が前身の歴史のある病院で、亡くなった母もここで治療をしてもらい、最期もここで息を引き取った我が家でも関係の深い病院です。

今回、父は初め消化器内科で検査をしたのですが原因がわからず(血尿と熱の方は抗生物質ですぐに治った)、血液内科に回されて、その結果、再生不良性貧血か骨髄異形成症候群のどちらかの疑いがあることになりました。

この二つの病気は骨髄検査をしないとどちらかすぐには分からないような病気なのですが、父は86歳の高齢のため、かなり苦痛を伴う骨髄検査はしたくない、と言い、担当医も高齢ということを考えると検査結果がどちらかで出たとしても治療もむずかしいので、父を介護している私の弟と相談の上、時々様子を見て輸血をしながら寿命をまっとうする、という結論に達したようです。

ところで、再生不良性貧血は遺伝する病気ではない(一部に特別なもので遺伝するものはあるけれど)という話のはずです。函館病院の担当医も、娘の私がそうであると聞いて「遺伝はする病気ではないのですが」と驚いていたようです。

しかも100万人に5人か6人の発症というとても数少ない病気です。

それがいったいどうして同じ家族で1年半の間にそんなことになったのか。

もっとも父の病気は確定はさせていないのですが、もう一つの骨髄異形成症候群であったとしてもどうしてそんな似た病気になったのか、です。

このケースは、今後の医学の進歩によって謎は解けるのかもしれませんが、非常に複雑に思います。

ショックともやもや…。

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