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2012年1月

2012年1月31日 (火)

笑いごっちゃおまへん

昨日病院へ行って、心電図や脈拍と血液検査をした。

すぐに結果の出た血圧や心電図は問題なく、血管年齢は20代後半というので気を良くしていたら、今朝、主治医から電話があり、入院して安静にしていなくてはならないような血液の状態だと言われ、ともかく緊急に点滴を受けてきた。

赤血球や血小板が異常に少なく、健康な人の5分の1。白血球も少ない。つまり貧血で、それが心臓にも負担が来て動悸息切れがあったのだそうだ。

体内のどこかで出血しているかもしれないので、できる範囲で検査をしたが、それはそんなに異常はみられず、では血を作るところで異常をおこしている可能性がある、というんで、血液内科への紹介状をもらってきた。

明日と来週は講座があるので、とりあえず明日講座をしてきて、木曜日か金曜にでも紹介状をもらった病院へ行くつもりである。

笑いごっちゃおまへん。

しばらくおとなしくしてなくては…(入院かも)。

2012年1月29日 (日)

激動の2日間

一昨日友人が亡くなりました。

がんでした。

その友人は、夫の中学時代からの友人で、私も結婚してから家族ぐるみ、というかこの10年くらいはむしろ私の方が夫よりもよく話をしていて、相手は男性ではありましたが親友でした。

15年~20年ほど前はもう一人彼のすぐそばに住んでいる友人と4人で(彼ら二人は結局独身だったので、私たち夫婦と合わせて4人)毎年のように一泊旅行へ行ったり、我が家に飲みに来て泊まって行ったりしていました。

そのうちに、泊まるような暇が、なかなかお互いなくなって、外での飲み会だけになり、ふと気づくとそれもこの数年はなくなっていました。

でも私の講座にわざわざ来てくださったり、電話で話したりしていました。

年賀状ではいつも「また飲みましょう」。

いつでもスケジュールさえ合えばまた飲める、楽しい話ができると思っていました。

その彼が、実はこの2年半ほど、あちこちにがんができて、私たちには内緒にしていたけれど、何度も手術をしてたいへんな状態であった、と知ったのは昨年末でした。

もう一人の友人が「実は」と連絡をくれて、初めて知ったのです。

慌てて年末に自宅まで会いに出かけ、久しぶりに話をして、悪くはなっているものの、また美味しいものを食べに行こうと、そしてほんとうに食べられそうなほど明るい声で約束して帰ってきたのでした。

それが、一昨日、急変して亡くなりました。

私が携帯をハンドバッグに入れっぱなしにしていたもので、気づいたのは昨日の朝でした。

昔、喋る仕事をしていた時にご一緒したある方と約束をして、一カ月ほど前から楽しみにしていたその方のコンサートに出かける寸前で、一瞬頭が真っ白になりました。

コンサートをやめようとも思いました。

でも、その日私がコンサートへ行くのをやめたとしても、お通夜まで、かなりの時間があります。夫は行くよう、言いました。

茫然としながら、夫の黒い服の支度を調え、私も黒いスーツに替えて、中のセーターだけあとで黒に替えるように持って、緑のセーターでコンサートに出かけました。

会場では、亡くなった友人と一緒に楽しむつもりで、コンサートを楽しみました。

ちょうど私が中学、夫や彼が高校時代に流行ったグループサウンズのコンサートでした。

色々聞いていたその時代の彼らの話を思い出しながら、私の青春時代にも戻って、途中涙も流しながら楽しみました。

その後に時間調整して出かけたお通夜は、密葬ということで、彼の自宅で、ほんとうに近い親類と私たち数人の友人とで行いました。彼の棺のまえでお経の後、しばらく思い出を語りながら飲んだのです。

彼が実際にいたらきっと一緒に笑って話に加わったと思われるようなお通夜でした。

長い一日でした。

そして今日。

告別式でした。

夫は仕事だったので、私が一人参列しました。

ところが今日は大阪国際マラソンの日。ちょうど彼の家のごく近くがコースだったのです。

早く出て近くまで行ったのに、どうしてもマラソンコースで仕切られていて、1時からの式に、12時からスタートのマラソンで、最初に男の方が固まって走り(よくわからない、女子マラソンなのに)、ともかくあっちもこっちも、行こうとしても道路を渡れない。

泣きそうになって、かなり遠回りしてようやく陸橋を見つけて渡りましたが、その階段で私の心臓がバフバフ。実は10日ほど前から耳の奥で血流に合わせてドキドキ、ザクザク音がするし、階段の上りが辛くて、ちかぢか病院へ行こうかと思っていたところでした。

まあ、ともかく大回りしてようやくたどり着いたお葬式。

そこまでだけでも大変でした。

それがお葬式が済んだ直後、お通夜に来られなくて式に参列した別の友人(この方も夫の友人です)が意識がなくなり、その場で倒れてしまったのです。

11月に脳梗塞で入院して、1か月前に退院したばかりの友人でした。

10年前には心筋梗塞もやっている人です。

慌てて救急車をよんで、ご家族に連絡するやら、ともかく救急車には誰かが付き添わなくてはならない、というので、結果、私が一人付き添いました。

脳梗塞か心臓か。
しかし、救急車内で彼の心電図を見ながら、私の心電図も見てほしいと思ってしまったくらいの私でした。
病院へついて、しばらくしたら大丈夫、脳震とうか何かだったらしく、帰されました。

ところで、彼は車で告別式に来ていて、路駐をしているから戻って自分で運転して戻るなどと言うので、それはどうしても阻止させなくては、と、家族に連絡を取って、実際に家族が迎えに来るまで、一緒についていたのでした。

(大阪マラソンのためにすこし遠くの病院へ搬送され、タクシーで帰る途中お腹がすいたと言うのでファミレスにも寄り、どうも朝にトースト一枚食べたきり、お昼を摂っていなかったらしく、摂ろうと考えていたのにこれまたマラソンのコースのせいで車で右往左往しているうちに時間がなくなり食事を摂れず式に参列。当人はそのせいで倒れたと思っていました。私は胸も頭もいっぱいいっぱいでコーヒーをやっと飲んだだけ。とにかく大阪市内、大阪城の大手前から四天王寺あたりまで往復しました)

すべて済んで、帰りの電車に乗り込んだら、もう、疲れ果てて、私の方も、倒れそう。

実際に家に辿り着いたら、もう何もできずに、寝込みました。

ほんとうにジェットコースターに乗ったような、山あり谷あり、ドキドキの2日間。

他に細かいことはまだあったけれど、書いても長くなるばかりで…。

こんな日もあるのですね。

私も明日病院へまいりましょう。

2012年1月26日 (木)

今こそ真冬じゃん

寒い。メチャクチャ寒いです!

早朝のNHKの天気予報で真冬並みの寒さですと、昨日も今日もアナウンサーが言ったのだけど、それって天気予報独特の用語なのでしょうか?

寒の入りから節分前までの今こそ真冬じゃあこざいませんか(大寒は21日だったしね)?

現代の常識的な使い方で「並み」というと、「同じ」で、しかしまったく同じではなく「本来とは違うけれど同じような」の場合に使うので、どうも違和感があります。

たぶん伝えているアナウンサーも違和感を持ちながら原稿通りに話しているんだと思いますが、こういう表現なんとかならないものでしょうかね。

もっともこの表現が間違っているかどうか、明治時代や大正時代の表現では正しかったのかもしれないのではあるのです。

言葉は変化していくもので、たとえば、今の若い人が使って年配者からおかしいと言われる「ぜんぜんいい」という表現、もともとおかしくもなかったという話もあります。明治時代では夏目漱石も使っていというし(どの作品で使ったのかまで私は確かめていません)し、三島由紀夫の逸話のなかで言葉遣いに非常に厳しかった祖母が「ぜんぜん」の後は肯定の表現が正しいと言ったという話がたしかあったと覚えている(これも少しうろ覚えなので、近日中に出典を明らかにします)。

それがいつの間にか「ぜんぜん」の後は否定が正しいことになり、それがそのうち、逆転して今また「ぜんぜん素敵」「ぜんぜんいい」が使われるようになったのでしょう。

とすれば「真冬並み」の「並み」の意味することが「同じような」「類する」ではなく「=(イコール・まったく同じ)」と使われていたことが判れば、私も納得するのですが、どうも現代の常識的なニュアンスからいえば、首をかしげてしまうのですね。

言葉は生き物ですから、どんどん変化していて、まあ何が正しいのか、偉そうなことは言えませんが、早朝からテレビに向かって「今こそ真冬じゃん」と突っ込みを入れる私でした。

2012年1月11日 (水)

これって大阪だけ?

このごろだんだん、かつて青島幸雄が演じた「意地悪ばあさん」に心が近くなっていく、という話をココログの広場でしたことがあった。

私はもう16、7年前から、平日の天候の悪い日や用事のある時以外はいつも夜8時からウオーキングを友人と一時間している。

それを話したことのある方とココログ広場で会って、たまたま時間が夜の8時台だったので、「今日はウオーキングはしないのですか」と訊かれたので、「風邪を引いたので今週は休みにした、と話し、しかし休みにしようと言った最初の日はたしかに微熱もあってむかつきなど具合が悪かったのだが、その後だいぶ調子は戻った」と話した。

ついでに「この頃は、元気のようだがときどき不調、とくにお昼から夜にかわるような時間(黄昏時)にはホルモンが変わる境目なのか、具合が悪くなって、めまいやむかつくことがある」と言ったのだ。

それは事実で、ちょうど夫が帰る頃に軽くむかつき(夫の帰宅が嫌なのか? 笑)、あるいは夕飯の買い物をすべて冷蔵庫に入れ、さあこれから作らなければならないという時に不調になる(料理が嫌なのか?)ので、30分ほど横になることが時折ある。

さらにいえば、10年ほど前から首から上が時折アトピーのようになる。

更年期かもしれない。

だとおもう。

だったら、この気持ちの悪い時期は早くすぎて、脱皮したい。

しかし脱皮したら婆さんになるだけか。

う~~~ん。

それもなんだかかなしい。

けれど、この頃、たしかに婆さん化しつつある。

とくにこの頃、昔、青島幸雄がやっていた「意地悪ばあさん」みたいなところがでてきているかもしれない。

そういう話をココログ広場でした。

たとえば、電車の中でマナーの悪い若い人を見ると腹が立って、つい怒ったりする、と。

そうしたら、今日、その話をした方に、再度どういうことか、手短に理解できるよう説明してほしいと言われた。

席を譲らないというようなことかと、思われたようで、そんなことをちらりと言われた。

いいや、その席を譲る譲らないということではなく、もっと危険だとおもわれるような目に遭うから、そういう時に怒ると話をしたが、どうももう一つ私の表現力が足りなかったせいか伝わらないようであったので、ここで書こうと思う。

それから、もしかしたら大阪が特別マナーが悪いのか、余所では理解できないことなのか、とも思ったので、それもそうならコメントで伺いたくて。

電車の中で、吊革に傘をぶら下げて立っている人がいる。

傘の丸い柄を吊革にひっかけて、そのぶら下げた傘の途中をつかんで立っていたり、ぶら下げている横の吊革に手をかけて、傘はただブランブランと揺れる電車の中でぶら下がっていたりしているのである。

こういう状態の人が自分の前や斜め前に立っていたら、私は怖い。

尖った先が揺れ方によるが、何かの拍子でこちらにおちてきたら、傘がこちらに突き刺さる。

いつもではないが、目に余る時は注意する。

そうするとたいてい「大丈夫です」と言うのである。

何がどう大丈夫なのか。

「大丈夫ではないのよ。何かの拍子で電車が大きく揺れてその傘がはずれたら人に突き刺さって、けがをするのよ。傘で死んだ人もいるんだから」

いつもなら「気をつけてください」ですますところだが、一度はっきり言ったことがあった。

日傘で、先が金属の物であった。

その傘の先は、私ではなく、むしろ隣の年配の男性の先を向いていた。しかし、場合によってはこちらにも先はくるかもしれない、そういう状態だった。

彼女は(その傘をそうしていたのは二人組の女子高校生だった)、めんどくさそうにこそこそと持っていた紙袋にちょこんと入れなおした。

とても不安定な状態で入っていたので、危険度はたいして変わらない状態であったが、目の前をぶらんぶらんと傘が揺れているのはもっと怖いものである。

私の発言に、隣の男性はお礼のようにこちらに首をこっくりとした。

彼女たちが乗ってきた時から、彼も苦い顔をしていたのだ。

これは我慢できなくて注意したケースだが、注意しないものの最後まで嫌な思いをすることがこのごろ傘のケースでおおい。

この、傘を吊革にかけてぶらぶらさせる、のは今まで見た中で老人にはない。

小学生から40歳代くらいまでの年齢の人がする。

もちろん、席を譲ったらいいのに、と思うケース、荷物で座席を占めたり、詰めていないから本来ならあと2人は座れるのにな、と思うこと、携帯電話禁止の優先座席で平気で電話をしている人、これらは多くて、腹も立つけれど、傘の話はそういう次元とは別に、怒りがこみ上げるのである(私の場合)。

できることなら青島幸雄の意地悪ばあさんのように、そいつらをギューっといわせてやろうかと(もちろんしないが)思ったりするのである。

しかし、今日、この種の傘の話が通じないというのは、こういうことをするのはもしかしたら大阪だけかもしれないと思ったのでもあった。

2012年1月 7日 (土)

講座のお知らせ

1月11日から受付け開始の私の講座のお知らせです。

地域限定ですが無料の講座です。

該当地域にお住まいでご都合がよく、興味のある方はどうぞ。

歴史講座

「平清盛をめぐる女性たち」

日時:①2月1日(水) ②2月8日(水) いずれも午後1時30分から午後3時

場所:大阪府守口市立八雲東公民館・会議室

講師:尾川裕子

対象:守口市民

参加費:無料

定員:40名

*今年のNHK大河ドラマ「平清盛」に即した内容でという依頼で、昨年秋から同じ守口市の他の二会場で、平安時代の貴族と皇族の話や平清盛の生涯について話してきました。今回はその時には時間がなくて話があまりできなかった清盛の周囲にいた女性の話を中心にいたします。

この講座は基本的には守口市民が対象ではありますが、FMハナコが受信できる地域の方も受講できる場合もあるようです(確実ではありませんが)。

3月4月には他の会場で文学講座があります。公式ブログのほうでは紹介いたしましたが、こちらの方では受付日時が決まった時にまたご案内したします。どうぞよろしくお願いいたします。

公式ブログ

2012年1月 1日 (日)

謹賀新年

明けましておめでとうございます。

今年が平和で明るい年になりますように。

大震災の地が一日も早く復興されますように。

皆さまにとって良い年になりますように。

今年もどうぞよろしくお願いいたします。

Kagamimochi0101_2

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